はじめまして
こんにちは、シングルファーザー奔走記の運営者、みいちゃんです。
私は、2020年に離婚をして、手探りの中実質、ワンオペで二人の子供を育てています。
息子は、3歳の時に、自閉症スペクトラムと診断されました。
今は、進学に向けて療育と、保育園の両立の日々です。
このブログは、そんな息子の成長、ひとり親としての奔走の日々、これまでの体験談を綴っていきたいと思います。
もしよろしければ、そんな私に付き合って頂けると今後の活力になりますので、よろしくお願いします。
※家族については、プロフィールをご覧ください。
結婚してからの日々
元妻は統合失調症でした。
今思えば、もう少し病気について聞いていれば良かったと思います。その時は本当に知りませんでした。
はっきり知ったのは、結婚してから3~4年先だったと記憶しています。
そして、2020年。結婚して10年目の夏、離婚しました。
元妻とは、職場で知り合い結婚しました。もともと持病持ちでしたが、当時はそれ程深刻な状態でなく通院しながら仕事をしていました。私もそれを承知の上、付き合って1年程で結婚をしました。
結婚してからは私は、出来るだけ家事を手伝っていました。
そんな状態が5年程続いたと思います。結婚当時から、体調の事もあり、子供は諦めていました。病院からも、やめたほうがいいと言われていましたが、元妻から欲しいと言われました。
病院からの指摘通り、一人目の子供が生まれた辺りから様子がおかしくなりました。毎日のように、しんどいとか、イライラするするとか、動けないとか言ってました。今思えば、そんな状態でもよく育児・家事を頑張っていたと思います。
絶縁状態
結婚当時から、私の母親とはとても仲良く、よくお茶をしたとか、お昼ご飯食べたとか聞かされていました。心配していた、嫁と姑のいざこざもなく安堵していました。
ところが、一人目の子供がおよそ1歳くらいの時に事件が起こりました。仕事から帰ってきた私に、凄い剣幕で怒ってくる元妻。
理由を聞くと、原因が私の母親にあるとの事でした。(詳しくは、長くなるので割愛させていただきます・・)
要約すると、悪口を言われた、酷い扱いをされたとの事です。しかも、結婚してからいままでだそうです。(大体5年間くらい・・)
電話で母親に確認をしたものの、言った事もない、したこともない、それに、昔のことは覚えていないと言われました。
縷縷綿綿・・・・子供はギャン鳴き・・・
そして、義母もやって来て、話しがややこしくなり、私の父親を呼ぶ事になり更にややこしくなりました。
事態は悪化の一途です。結局、絶縁状態で一応の終息はしました。
離婚を決めるまでの日々
半ば絶縁状態のまま時間は過ぎて、二人目の子供ができた頃、私は転勤になりました。元妻はとりあえず、二人目が生まれるまでは実家に帰る事に、私は一人赴任先に引っ越しをして、帰って来るのを待っていました。
半年後、二人目を出産した元妻が帰ってきました。今度は4人家族です。心機一転。新しい生活が始まるはずでした。
新しい生活はそう長くは続来ませんでした。環境の変化に馴染めなかったのか、体調が以前よりも悪くなり、ついには、入退院を繰り返すようになりました。
入退院を繰り返すと、当然私の仕事にも影響が出ます。子供を見ながらの仕事は出来ず、お互いの実家でそれぞれ子供を預ける事になりました。4人で暮らし始めて2年目の事でした。元妻は、退院後、実家へと帰りました。
当時子供達は、待機児童状態でした。保育園さえ決まれば一緒に暮らせる。そう自分に言い聞かせてひとり人頑張っていました。
翌年の1月 ついに2人の保育園が決まりました。
やっと子供達と過ごせる。
寒さが厳しい1月中旬頃だったと思います。市役所からの通知で安堵しました。何度読み返しても決定通知でした。今まで何度届いただろうか・・
今度は間違いなく入園の決定でした。
4月から忙しくなるぞ~!!
ただ・・一抹の不安がありました。それは、元妻です。また、入院したらどうしよう・・・
そんな私の不安は現実のものとなりました。
保育園に入ってからも何度か入退院を繰り返す元妻。その度に会社に迷惑をかけ、何度も頭を下げて。時間の融通もしてもらいました。
転職そして家事と育児の両立スタイルに
家事と育児の両立ができる仕事を知り合いから紹介された私は、8月に退職を決意、そして、転職。
言い訳でではありませんが、私は元妻には出来る限りの事はしました。出来る限りのケアをしてきました。
入院中は、子供達を保育園に送り仕事に行く。迎えに行って家事をする。それが、私の生活スタイルとなりました。
離婚を考えたきっかけ
離婚を考え出したのは、義母との同居がきっかけでした。同居が始まったのが、10月下旬でした。元妻が退院して、家事 育児が難しいからと半ば強引に同居生活が始まりました。
きっかけその1
娘は私が仕事に行くとよく泣いていました。その度に義母から怒らていました。あなたは仕事に行くからいいけど、残された私達は困ると・・・
きっかけその2
生活費は3万円出しますと言われたのに、必要経費(元妻の必要品・子供の必要品など 実家の帰省費用など)を引かれた。結局月1万くらいでした。
きっかけその3
元妻の家事 育児のサポートに来たのに、サポートしてくれない。逆にもっとサポートしなさいと言われました。(朝食 夕食は、私が作っていました。)
これらは、単にきっかけに過ぎません。離婚を決意したのが、元妻の私に対しての態度でした。
仕事から帰って来ても、自室にこもったまま出てこない。朝と夕食だけ顔を合わせて、終わればまた自室にこもる。こんな生活が3ヶ月続きました。今考えると、私にも非があったと思います。ただ、あの時は、義母からの𠮟責に加えて、元妻のあの態度。正直どうでもよくなっていました。ただ、子供がいるからと我慢の毎日でした。
そして、なにより現実問題としてお金です。入院費用は最高60万円かかりました。
限度額適用認定証をつかったとしても、30万円以上は要ります。この時、貯金は0でした。
※限度額適用認定証とは医療費が高額になりそうな時に、自己負担額限度額を超えた額が後からから戻される制度の事です。
無料法律相談相談
離婚話しを切り出す前に私がした事があります。
それは、弁護士による無料法律相談です。(相続 離婚 借金など)
市の広報で見つけて、子供連れでも大丈夫なので、予約を入れて相談に行きました。
相談して分かったこと
1.病気が理由での離婚は可能なのか?
2。父親でも親権がとれるのか?
まず1、民法770条の離婚事由の一つには『配偶者が強度の精神病にかかり、回復の見込みがないとき』という条項があります。
強度の病気とは、今までの離婚が認められたケースでは『統合失調症』 『認知症』 などの治る見込にないものが認められています。
そして2、母親と比べるとかなりハードルが高いです。なぜなら、日本の慣例として、育児は母親は主体だからです。
親権を得るための必要な事
●これまでの養育状況
●今後の養育環境
●他方の当事者が親権者となるのが不適当な理由
そして、資料が必要。これらが認められれば、父親でも親権が取れます。
離婚話しの切り出し
年が明けて、1月中旬、元妻が入院しました。義母からは、あなたが悪いと言わんばかりに、どういう事?の一言だけ。
一週間後、義母は、後はよろしくと実家に帰っていってしまいました。
その日から再び、家事と育児、仕事の両立生活の始まりです。
病院の面会は、週1程度、体調のいい日に子供と一緒行きました。病院のロビーで1時間くらいでした。
体調がよくない日は、会えないこともあり、受付で断られることもししばしば、子供達が泣いて帰ってました。
ある日、仕事が早く終わった私はひとり病院に向かいました。その日は体調も良く、子供達もいないからと病室での面会でした。雑談の後に話を切り出しました。
金銭的に苦しいから、これ以上は払えないから、別れて欲しいと・・・・
それだけ話しをしてその日は帰りました。
その日の夜の事です。義母から怒りの電話があったのは。
事情を話し、離婚したいとはっきりと伝えました。
それから、一ヶ月程して、元妻は退院して実家に帰りました。
ここから、別居生活の始まりです。
3月 弁護士に依頼
離婚の話しを切り出した私は、両親のバックアップもあり、正式に弁護士に依頼する為に、30分程の無料相談を使って、4か所事務所を回りました。離婚を扱っている弁護士を尋ねたのに、父親が親権獲得 そして、病気が理由の案件のためなのか、やる気無しの様子、相談もそこそこに聞いて手短に終わりました。
4件目に尋ねた事務所は、清潔、そして、丁寧な受付でした。担当の弁護士の先生も若く、エネルギッシュな感じでした。最後までじっと、話を聞いてくれました。
この弁護士の先生なら任せられる、そう直感した私は、依頼を決めました。
『難しい案件ですが頑張っていきましょう!!』 そう言ってくれました。
その後は、依頼に掛かる費用の詳細、今後の流れの打ち合わせをしました。
(弁護士の先生に依頼に掛かった費用のお話しは、また別の機会にお話します.)
離婚に有利となりうる証拠
私は、離婚を決めた直後から、証拠集めをしていました。
元妻の病気の診断書(病院の領収書 請求書など)
子供の養育実績となりそうな書類(保育園関係 住居関係など)
早めに準備したのには理由があります。なぜなら、話しを切り出した後だと捨てられる恐れがあるからです。現に、別居生活が始まってしばらくの事です。私が、仕事で留守の間に、合鍵を使って荷物を持って行ったことがありました。
いくら、合鍵を渡していると言え、一言電話が欲しかったです。
離婚に向けて動き出す
離婚に向けての電話でのやり取りは、弁護士の先生が全て行って下さり、私は、電話で状況を聞くだけでした。それによると、離婚には、同意してるものの、親権だけは譲れないとの事でした。
新型コロナウイルスの影響もあり、なかなか進展しないまま時間だけが過ぎて行きます。
ある日、弁護士の先生から、こんな電話がありました。離婚成立までに注意する事です。
それは、子供の連れ去りです。いわゆる誘拐です。保育園(学校)などに祖母が来たよ、母親が来たよと言いそのまま連れて帰る事はよくある話だそうです。
私は、直ぐに保育園に電話をしてお願いしました。
それから、1ヶ月後、ようやく、双方の話し合いの日にちが6月中旬頃・弁護事務所と決まりました。
その日は、雨、1回目の緊急事態宣言解除後の事でした。
新型コロナウイルスの影響で、思うように話しが進まず、やっと設けられた話し合いの席。私と弁護士の先生と2人、不機嫌そうな顔の元妻の両親の3人で行なわれました。
個室に通された後、静まり返った部屋で、話し合いが始まり、私は、弁護士の先生に言われた通りに、黙って聞いているだけの状態。
なかなかまとまらない話し合い。焦点はもちろん親権です。電話でのやり取りでもそうだったが、元妻は一切何も言わない、そして、今もそうだ。全て、両親に任せている。母親だろ?
それに、義母も義父も無茶苦茶言う。今の事より、将来の事ばかり言ってくる。
『病気になったらどうするんだ?』
『何かあったらどうするんだ?』
先の事など誰にも分からないのに・・・もちろん、私も含めてです。
黙っているように言われていたが、私が言った言葉はただ一つ
『子供は私が見ます。先の事は誰にもにも分からないが、私が見ます。何とかします。』
その後、いろいろやり取りはありましたが、最後は、元妻側が折れ、離婚協議書を作成して話し合いが終わりました。
親権は私、父親が取ることが出来ました。
後日談
話し合いが終わった後に弁護士の先生に言われた事があります。
今回の離婚は、協議離婚で終わっていたが、長引いていて、調停離婚になっていれば負けていたと言われました。
子供の養育環境、金銭面などどれをとっても、勝ち目がなかったと・・・
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
みいちゃんでした。
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